2021年8月17日
世界最古の城壁都市の一つと言われるジェリコのあるパレスチナを訪問しています。この地では、紀元前10世紀にダビデ王がエルサレムを建設し、ソロモン王が同地に第一神殿を作り、統治にあたりました。しかし、その後、ローマの、そして7世紀にはアラブ人の支配下に入り、さらに聖地奪還を目指した十字軍戦争など、民族・宗教をめぐる激しい戦乱の舞台となりました。そして、現在も、イスラエル・パレスチナの中東和平は残念ながら、実現していません。ちなみに、第三次十字軍遠征の決着、1192年の十字軍の若きリーダー、リチャード1世とイスラムの雄、サラディンの間で結ばれた26年に亘る停戦、中東の長い歴史を見ても画期的なものだったと思います。
今回の訪問で、パレスチナのアッバース大統領、シュタイエ首相、マーリキー外相と会談しました。アッバース大統領は、私が2003年にお会いした時は首相でした。当時、アッバース首相はガザ地区にいて、車の下面まで鉄板を張った防弾車に乗って、道路や建物のいたる所に砲撃や爆発の跡が生々しく残る街並みをくぐるように面会に行ったのを鮮明に覚えています。それと比べると今回は平穏な環境での会談で、一連の会談では、中東和平問題に加え、日本、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンが共にパレスチナの経済協力を進める「平和と繁栄の回廊」構想などについて意見交換しました。
その後、その旗艦プロジェクト、ジェリコ農産加工団地ICTセンターの開館式典に出席しました。2006年に当時の小泉総理が「平和と繁栄の回廊」構想を提唱してから着実にプロジェクトが進展しており、今や18社が稼働しています。中には、オリーブ石鹸やオリーブの葉を使ったサプリを生産する企業も含まれており、現地で多くの雇用を創出しています。また、8世紀のウマイヤ朝時代の文化遺産、ヒシャム宮殿では、日本の支援で、大浴場の美しいモザイク床が保護・展示されています。世界最古の都市とも言われるジェリコで、こうした日本独自の支援が着実に実を結んでいることを嬉しく思います。
ここヨルダン川西岸地域は、パレスチナとイスラエルの支配区域が複雑に入り混じっていて、移動の途中で何度もマシンガンを持った兵士や警察官が警備する検問所(といっても乗り継ぎ地点のようなもの)でイスラエルの車とパレスチナの車の乗り換えが必要でした。治安、人命という言葉をビビッドに感じます。パレスチナだけではありません。最近のアフガンを巡る状況も強く懸念しています。昨日エジプトでの共同記者会見でも述べたとおり、全ての当事者に対し、治安と秩序を回復し、人命と財産を保護するよう求めます。