2003年12月10日
日曜日の未明、外務省から連絡が入り、イラクで日本人2名の死亡事件が発生。外務省の奥参事官、井ノ上書記官が被害者の可能性があるとの連絡が入った。誤報であれば…その思いで朝を迎えたが、二人の死亡が事実であることを確認し、まさに痛恨の極みであった。
奥参事官、井ノ上書記官とは、私が副大臣時代、イラク戦争の前後、バグダッドで一緒に仕事をした同志だ。
私が5月11日、世界の政府高官として始めてバグダッド入りした時も、その事前準備を進め、現地の日本大使館で出迎えてくれたのも二人だった。到着した時、奥参事官から大使館の庭に国旗を掲揚して欲しいと言われた時のことを今でも鮮明に覚えている。
奥参事官は、外交官としての政策立案能力はもちろん、ラガーマンとしての行動力、明るさで現地バグダッドでもCPAの高官はもちろん国連関係者、NGO関係者からも抜群の信頼を得ていた。私とほぼ同じ年代であり、イラク復興にかける彼の思いが道半ばのうちに突然亡くなってしまったことにいたたまれない思いである。
井ノ上書記官は、私が戦前の3月、総理特使としてバグダッドを訪問し、タリク・アジス副首相と2時間に亘る交渉を行った時の通訳でもあった。優秀なアラビストとして、現地の情勢にも精通し、イラク人関係者とも独自のネットワークを着々と築いていた。彼のネットワークがようやくこれから本当に活きてくる時期だったのに残念でならない。
私の5月12日の日記にバグダッドで二人と夕食を一緒にした時のことが書いてある。
「今宵はチグリス河名物、鯉のフライを食する。味は僕の味覚(?)では鯉と鱒の間くらい。量が多すぎるが、なかなかいける。レストランにたまたまおいてあったSoySauce(勿論、いつも日本で使っている特選丸大豆醤油ではないが)をかけると更に旨い。大使館の職員、ORHAへの派遣スタッフが明るく苦労話を話している。自分はこういう仲間を誇りに思う。」
今はもう叶わないが、二人とまたチームを組んでもう一度仕事がしたかった。今となっては、彼らの思いは想像するしかない。しかし、混乱するイラクの厳しい環境の中で、あえてイラクに残ることを希望し仕事に打ち込んでいた責任感の強い二人は、今回の悲惨な事件があっても悲しみを乗り越えて、しっかりした支援を日本として継続してほしいということではないだろうか。
私は彼らの果たせなかった思いと重大な使命を重く受け止め、残された関係者と共にイラクの復興に全力で取り組んでいきたい。新生イラクを奥参事官と井ノ上書記官が天上から安心して見届ける日が来るまで。