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イラン訪問

歴史を振り返り、あの時、結果が逆だったら今の世界はどうなっていただろうと思うことが時々あります。その一つが紀元前333年のイッソスの戦い、アレクサンダー大王のマケドニア軍が、軍勢的に圧倒的有利なダリウス3世率いるペルシャ軍に勝利した戦い(日本で言えば、桶狭間の戦いのイメージ)であり、現在のイランや中東情勢です。

紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャはメソポタミア文明の栄華を築いたバビロニア王国を征服し、西はエジプト、東はインダス川に至る大帝国を形成し、壮大な首都ペルセポリスを築きました。広大な領域を統治するため高度な官僚制を整備し、帝国の基盤は盤石なものでした。

しかし、栄華は永遠のものではありません。紀元前5世紀、ギリシャ都市国家とのペルシャ戦争に敗れ国力が衰退し始めます。そして、冒頭のイッソスの戦いで敗北し、ペルセポリスも陥落、アケメネス朝ペルシャは崩壊します。ただ、今のイランにもペルシャ帝国以来の歴史や文化に裏付けられた「地域大国」の意識や誇りが残っているのはまちがいありません。

日本とイランも、ペルシャ帝国の時代から交流がありました。奈良の正倉院に宝蔵されている西方伝来のガラス器の中に、ササン朝ペルシャ時代の作品があることは広く知られています。また、最近では、奈良の平城宮跡で出土した木簡にペルシャ人の役人と見られる名前が記されていたことが発見されました。アジアの西の端と東の端に位置する日・イラン両国の交流が、1000年以上の昔から現在まで続いていることに驚かされます。

現在訪れているテヘランは、18世紀の後半にガージャール朝によって首都に定められてから急速に拡大した街で、かつてのペルセポリスや16世紀末にサファヴィー朝の首都となり、街のにぎわいが「世界の半分」とまで賞賛されたイスファハーンほどでないにしても、人口900万人の大都市です。標高5000メートル級の山々が連なっており、冬にはスキーも楽しめるそうです。

訪問中、今月初旬に就任したばかりのライースィ新大統領と世界の政府高官で初となる会談を実現し、中東情勢等を中心に、濃密な議論を行いました。長い歴史に根差した両国の友好関係を更に深めていくことを確認するとともに、私からは、古くからの友人であるからこそ、中東地域の緊張緩和と安定化に向けて、イランが建設的な役割を果たすよう、働きかけを行いました。

明日は今回の中東歴訪で最後の訪問国となるカタールに向かいます。